ガムランコンサート『千の産屋』パンフレット/滋賀県水口町碧水ホールにおけるガムランプロジェクト ガムランコンサート『千の産屋』パンフレット 2002.9.14
最新 2002.10.7


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(2002年9月14日、碧水ホールで開催されたガムランコンサートのパンフレットです。)





ガムランコンサート
千の産屋
 − イザナギとイザナミの物語



インドネシア国立芸術大学+マルガ・サリ
合同公演

2002年9月14日 土曜日 午後6時開演
水口町立碧水ホール

ワークショップ 午後2時





■ 千の産屋 − イザナギとイザナミの物語
インドネシア国立芸術大学(ISI)+マルガ・サリの合同公演

概略:インドネシアと日本の混成チームによるジャワのガムラン公演。伝統的なジャ ワ音楽、舞踊とともに、本公演のためのオリジナル新作「千の産屋 − イザナギと イザナミの物語」が島根(八雲村)と滋賀(水口町)で初演される。日本の古代の神 話に、ジャワの音楽と舞踊がどう立ち向かうのか?
 新しい文化混淆の泉が溢れだす・ ・・。

■企画・監修
中川 真 
Nakagawa Shin
サウンドスケープ、サウンドアート、東南アジアの民族音楽を主な研究領域とする音楽学者。マルガ・サリ代表。京都音楽賞、小泉文夫音楽賞、サントリー学芸賞を受賞。
 著書に『平安京音の宇宙』、最近には高橋ヨーコ(写真家)とともに日常の「音」をテーマに冒険小説「サワサワ」を上梓、フィールドワーク研究の新しい発表のスタイルとして注目されている。

出演:インドネシア国立芸術大学ジョクジャカルタ校
   マルガ・サリ

照明:岩村原太

主催:水口町教育委員会
企画・制作:水口町立碧水ホール











■プログラム

1. グンディン・ボナン 「ドゥングン・トゥルラレ」
  Gend. Bn. Denggung TURULARE, ktk. 2 kerep minggah 4, laras pelog pathet lima
2. グンディン「ルベル」〜ラドラン「パクンプラン」
  Gend. LUBER, ktk. 2 kerep minggah 4, kalajengakan Ladrang PAKUMPULAN
  laras slendro pathet sanga
3.舞踊「ゴレッ・アユン・アユン」
  Golek AYUN AYUN, Ladrang Ayun Ayun, laras pelog pathet nem
4. 舞踊「バンバガン・チャキル」
  Beksan BAMBANGAN CAKIL, Ketawan SUBAKASTAWA laras slendro pathet sanga
 − AYAK AYAK − SREPEGAN − SAMPAK laras slendro pathet sanga
5. 舞踊「クロノ・トペン・セワンドノ」
  Tari Klana Topeng SEWANDANA Yogyakarta, Lancaran BENDRONG laras pelog pathet barang mawi LIWUNG

      (休憩)

6. スンドラタリ「千の産屋 − イザナギとイザナミの物語」
序曲「国生みの始まり」/ ザナギとイザナミの出会い / 国生み /黄泉の国 / イザナギの逃走
イザナギとイザナミの再会と離別





■さて、本日上演される『千の産屋 − イザナギとイザナミの物語』のストーリー は次のようなものです。

1. 序曲「国生みの始まり」

2. ザナギとイザナミの出会い
 イザナギがひとりで踊っていると、イザナミが現れて踊る。それを見ていたイザナギ が恋に落ちる。2人のロマンティックな出会い。

3. 国生み
 イザナギとイザナミは交わる。そして子供が生まれるが、失敗する。出現するのは猿、 犬、キジなどの動物。やがて、イザナミは「火の神」を生むが、それがもとで彼女は 亡くなる。そして、イザナミは黄泉の国へと葬られる。

4. 黄泉の国
 イザナギは死んだイザナミを追って、黄泉の国の入り口にたどり着いた。イザナギは 「いとしいわが妻よ。まだ国生みは終わっていないから、現世にもういちど帰ってお いで」というが、イザナミは「もっと早く来てくださればよかったのに、私は黄泉の 国の食べ物を食べたので、もう帰ることはできません。けれども愛しいあなたが訪ね てくださったのは、とてもうれしいこと。帰れるかどうか、黄泉の国の神と相談した いので、しばらくお待ちください。ただ、その間、私の姿を見てはなりません」と いう。イザナギはこの言葉に従って待っていたが、あまりに時間が長いために、とう とう待ちきれず、イザナミを見てしまう。それは、身体じゅうに蛆がたかり、8カ所 に雷が宿る恐ろしい姿であった。約束を違えたイザナギに対して、イザナミは怒り、 逃げるイザナギを魔物に追わせる。

5. イザナギの逃走
 イザナギを追う魔物。イザナギと魔物との長い戦い。最後に、イザナギは桃を投げつ けて勝つ。

6. イザナギとイザナミの再会と離別
  魔物の後を追ってきたイザナミは黄泉の国と現世の境である黄泉比良坂(伊賦夜坂) でイザナギと再会する。大きな岩を挟んで2人は離別の言葉を述べ合う。イザナミが 「汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日(ひとひ)に千頭(ちかしら)絞(く び)殺さむ」(あなたの国の人々を、1日に1000人殺しましょう)というと、イ ザナギは「汝然せば、吾(あれ)一日に千五百(ちいほ)の産屋立てむ」(お前がそ うするならば、わたしは毎日1500の産屋をたてよう)というのであった。

 詳しく、粗筋を書いたのは、記紀神話の内容と少し異なる点があるからです。



■出演者

インドネシア(インドネシア国立芸術大学)
○ 音楽:トルスト Trustho
     バンバン・スリアトモジョ Bambang Sri Atmojo
    ストリスニ Sutrisni
    ハリャント Haryanto
    スニョト Sunyata
    トゥリ・スハットミニ Tri Suhatmini
    ダルト・ハルジョノ Darto Suharjana

○舞踊:スパドモ Supadma(プログラム5)
    バガワン・チプトニン Baghawan Ciptoning(プログラム4)
    スリ・ハンジャティ Sri Hanjati(プログラム4)

日本(マルガ・サリ)
○音楽:家高 洋  岡田靖子
四方夕香  田渕ひかり
  坪井ゆゆ  東山真奈 美
  中川 真  西 真奈美
西岡美緒  羽田美葉
本間直樹  松田明子
松宮浩
  
○ 舞踊:佐久間新
    ウィヤンタリ Wiyantari(プログラム3)
    石田敦子 杉山阿彌




■出演者プロフィール

ISI YOGYAKARTA
インドネシア国立芸術大学ジョグジャカルタ校

 Institute Seni Indonesia、通称 ISI (イシ)は、 ジャワ島中部のジョグジャカルタ(ヨグヤカルタともいう)にあるインドネシア国立の唯一の総合芸術 大学である。ここでは、西洋の理論に基づいた芸術と、伝統的な芸術の双方から、美術・音楽・舞踊の 研究と作品制作・実技練習が行われている。伝統的なガムランに関しても、ジャワ島西部・中部、バリ 島などの地域を問わず、演奏の訓練・研究などがなされ、大学として幅広くカリキュラムが組まれてい る。ISIの教授には、王宮の楽師を兼ねる人も多く、インドネシア国内で最も高い水準の演奏家・舞踊 家がそろっており、宮廷(クラトン)の高度な伝統芸術を伝承していく役割も担っている。また、一方 で、現代にふさわしい表現を求めて注目すべき創作も盛んに行われていて、次代を担うアーチストを育 てている。  今回の来日メンバーは、ISI の教官10名で構成され、その内、舞踊家は3名、演奏家は7名である が、男性舞踊家は、曲によっては演奏家も務める。メンバーのうちクンダン(太鼓)演奏家のトルスト 先生と男性舞踊家のスパドモ先生は第二回庭火祭(1994年)に出演している。またハリヤント先生は 1999年から島根ガムランチーム風樹(スカールサリ)の指導のために毎年来日、パニョト先生も今年 マルガサリの指導に当っていて、来日される先生方は国内外での公演活動だけでなく、欧米やニュージ ーランド、そしてアジアの国々で生まれているガムランチームの指導者としても国際的に活躍している。

マルガ・サリ
MARGA SARI

 1998年創立。大学生・プロ演奏家ら約20人で構成、大阪府北部・豊能町の山間にある旧寒天工 場を改造した「スペース天」を拠点に活動する。代表は中川真 Nakagawa Shin・大阪市立大学教授。レ パートリーはジャワの伝統音楽の他ウィル・エイスマ(オランダ)、ホセ・マセダ(フィリピン)、野村 誠、北浦恒人などの現代作品多数。毎年ジャワの一流の演奏家を講師として招き、伝統音楽の本格的な 演奏を目指す一方、国内外の様々なアーティストとのコラボレーション(共同作業)を通じ、ガムラン 音楽の新作を生み出している。専属の舞踊家として、佐久間新Sakuma ShinとウィヤンタリWiyantari がいる。



プログラムノート■ 「千の産屋 − イザナギとイザナミの物語」に寄せて

中川 真


 ガムラン音楽の本場であるインドネシアでは、ガムランは単体で演奏されることは 少なく、舞踊、演劇、影絵など、他のジャンルとの共演で登場することが普通です。 つまり基本的にコラボレーションの芸術といっていいのです。そういった伝統は古く からあり、ラーマーヤナやマハーバーラタといったインドのヒンドゥー叙事詩が上演 されてきました。また様々な物語や現代的な事件を素材とした、新しい作品も数多く 生まれています。上演形式としては、ワヤン・ウォン、スンドラタリ、ワヤン・クリッ 、クトプラッなど、宮廷的な品格をもったものから村の地芝居のくだけた面白さまで、 実に多様な姿をしています。
 本公演では、そういったジャワの上演芸術の文脈を活かしながら、全く新しい素材 でオリジナルの舞踊劇を創作することを試みました。その素材とは『古事記』などに 描かれている、イザナギとイザナミの物語です。
 当初は、新作舞踊劇が「庭火祭」(島根県 2002年9月7日)実行委員会の委嘱で あることから、小泉八雲の『耳なし芳一の物語』が候補となり、おおよそのシナリオ もできあがりました。しかし、この作品の背後にある無常観や、芳一の全身に経文を 書き込んで亡霊に相対する宗教性、さらに耳を取られてしまう怪異さなどが、ジャワ の音楽家や舞踊家とのコミュニケーションのなかで、なかなかうまく伝わりませんで した。そこで、八雲の作品は将来に再び挑戦することにし、より理解が可能であろう と思われる『イザナギとイザナミの物語』を選びました。制作の過程で碧水ホール (滋賀県水口町)での公演も決まり、『古事記』の方がより普遍性があると判断した からです。
 この方針転換は、ジャワ人との打ち合わせにおいて、飛躍的な前進を生み 出しました。私が、彼らにイザナギとイザナミの粗筋を語りますと、即座に理解し、 なんと驚くべきことに、その場でスパドモ氏は立ち上がり、身振りを加えて全体の流 れができあがっていったのです。つまり、彼らのイマジネーションを容易に刺激する 題材であったようです。これで私はホッとしました。なぜなら、今回のスンドラタリ の制作方法は、日本側がシナリオを提示し、ジャワ側がそれに作曲と振付を考案する というものだったからです。いわば、これで日本側の責任の過半を果たせたのです。


 まず、 私がなぜイザナギとイザナミの物語に焦点をあてたのか、説明しておきましょう。
 記 紀神話は長大な歴史の叙述です。ドラマティックな場面−例えば倭建命(ヤマトタケ ルノミコト)の話など−は随所にあるのに、なぜここにしたのか? 出雲や石見の神 楽では、それこそヤマタノオロチ他、勇壮な場面がいっぱい出てきて手に汗握ります。 それに較べると、イザナギとイザナミの物語は、かなり地味です。しかも2人は黄泉 の国境で離別したりして、あんまり明るい話でもない。
 しかし、私は創造(クリエーション)を大きなテーマにしたかった。そのときに、 国生みから始まるイザナギ・イザナミの話はとても魅力的に思えました。記紀神話か らは2人の「人間性」はなかなか垣間見れませんが、私は生身の人間として恋に落ち る場面から始めました。もちろん記紀神話にはない設定です。そして、原典では蛭子 という不具の子を産んでしまうのですが、私は猿、犬、キジ(鳥)といった動物に翻 案しました。ジャワ舞踊の特色のひとつにコミカルな味があるのですが、それをここ で実現したかった。
 そして、次の黄泉の国の場面はほぼ記紀神話を踏襲しました。現 世とは異なる黄泉の場面を、ジャワの人々がどのように表現してくれるのか、とても 楽しみです。あの世は、ここではワヤン・クリ(影絵芝居)で表現されます。
 イザナギ・イザナミは淡路島や四国をはじめ、多くの島々と、また多くの神々を生 んでいます(この部分は、本公演のシナリオづくりの段階で割愛しました)。それは 2人の愛の成果でもあったのですが、イザナミは死んでしまう。イザナギが悲嘆にく れるのは当然のこと。黄泉の国にまで追いかけ、また約束を破ってまでイザナミを見 てしまう。与ひょうがつうの機織りを見てしまう、あれと同じ心理です。イザナミは どれほど悲しかったことでしょうか? もはや夫婦に戻る道は閉ざされたのです。深 い愛は狂おしいほどの怒りとなり、イザナギを襲います。そして、イザナミの送る追っ 手からイザナギを助けるのが3つの桃の実。記紀神話において、この桃の実の出現は とても唐突ですが、印象的です。桃の実が鬼のような魔物を退治するのに効力がある という、この話が民話の『桃太郎』を生んだのではないかとすら私は思っています。 ですので、ちょっとイタズラをして、私は蛭子の代わりに猿と犬とキジを誕生させた のでした。
 そして、問題の最後の場面。2人は離別することになる。そこで、創造に関する問 答になるのです。「私は1000人を殺す」「それならば、1500人を誕生させて みせよう」。この問答は「売り言葉に買い言葉」あるいは意地の張り合いみたいに見 えるのですが、どこかに2人の愛は隠されていないでしょうか?
 イザナミは黄泉の 住人として「1000人殺す」と言わざるを得なかった。その辛さを受け止めながら、 イザナギは「ならば1500人を誕生させる」と答える。私は思うのですが、それを 聴いてイザナミはすごくうれしかったのではないか?
 イザナミの仕業をイザナギが 帳消しにしてくれるどころか、さらに500人もの新しい生命の誕生が約束されたの です。離別は悲しいけれど、2人は納得してそれぞれの地へ戻っていった。しかも、 2人は大きな岩を間に挟んでいる。つまり互いに見ることなく、声を聴くことによっ て、コミュニケーションをはかろうとしているのです。ここでは「声」の役割もまた 大きくクローズアップされています。
 国生みや神生みという創造から、人間の子を産むという創造へと、この場面では大 きくステップアップしてゆきます。そして、それを可能ならしめたのが、イザナギ・ イザナミふたりの愛憎である、というのが私の解釈なのです。それを、ジャワの人々 がどのように再解釈するのか・・・。

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