「ジャワガムラン楽舞劇『桃太郎』2場、3場」パンフレット/滋賀県水口町碧水ホールにおけるガムランプロジェクト 「ジャワガムラン楽舞劇『桃太郎』2場、3場パンフレット 2003.9.14
最新 2003.10.6


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(2003年9月14日に碧水ホールで開催された「ジャワガムラン楽舞劇『桃太郎』2場、3場」のパンフレットからhtml 版です。)







ジャワガムラン楽舞劇
『桃太郎』
  第2場,第3場」





〜ジャワの響きが桃太郎を動かしている。
ガムラン・マルガサリは悩む、桃太郎は
どこへ行くのだろう〜




■ 桃太郎のつくりかた

■『桃太郎』第1場「桃太郎の誕生」台本



 1

■プログラム

1.グンディン ソラン アルディグントゥル
Gendhing Soran Ardiguntur laras slendro pathet nem 

2.グンディン リプル・エランエラン 〜 ラドラン スリシヌボ
Gendhing Lipur Erang‐Erang 〜 Ladrang Srisinuba laras pelog pathet nem

3.舞踊 ルッノ アダニンガル
Tari Golek Menak Retna Adaninggar (Ladrang Eling‐Eling 〜 Playon Keji Beling 〜 Rambangan kinanthi, laras pelog pathet barang)

4.舞踊 クロノ セワンドノ
Tari Kelana Topeng Gagah Sewandana (Lancaran Bendrong laras pelog pathet barang)


休 憩


5.楽舞劇『桃太郎』第2場、第3場

      (音楽監修:野村誠)

■演目解説

1.グンディン ソラン アルディグントゥル

 ジャワ島中部地方の伝統音楽は、ジョクジャカルタとスラカルタ(ソロ)の二つの都市において継承され、それぞれ独自の様式で演奏されている。1曲目のアルディグントゥルはジョクジャカルタの様式で演奏されるが、この様式の特徴は「雄々しさ」にあり、この曲の演奏形式の「グンディン・ソラン」において現れている。「グンディン・ソラン」の「グンディン」とは、「楽曲」、「ソラン」は、「強い」ということを意味しており、歌や弦楽器などの柔らかい音色の楽器を含まない演奏形式の名称である。
 前奏を受け持つボナン(上向きのコブの小型ゴングが並べられた楽器)やサロン(共鳴箱に鍵盤が並べられた楽器)が中心となる曲であり、クンダン(太鼓)以外は、すべて青銅の打楽器である。曲はゆったりと始まるが、最後には徐々にテンポが上がるにつれて音楽は高揚していく。なお、「アルディグントゥル」とは、「起伏の富んだ山脈」を意味しており、これは、サロンが奏する旋律(バルンガン)の動きの中に示されていると言われている。

2.グンディン リプル・エランエラン〜ラドラン  スリシヌボ

 二曲目のリプール・エランーエラン〜スリ・シヌボは続けて演奏されるが、その演奏様式はスラカルタの様式である。この様式の特徴は「優美さ」にあり、それは今回の演奏形式である「グンディン・ルバブ」においてはっきりと現れている。「ルバブ」とは二弦の弦楽器の名前であり、「グンディン・ルバブ」とは「ルバブが中心の楽曲」を意味しているが、しかし通常は弦楽器だけではなく、歌やグンデル(青銅製のヴィブラフォン)などの柔らかい音色の楽器が加わった演奏形式一般の名称である。この曲もゆったりとしたテンポで始まり、ルバブや、プシンデンと呼ばれる女声独唱、グンデルなどが、バルンガンに基づいて即興的に絡み合いながら進行していく。そして、チブロンと呼ばれる中型の太鼓が登場すると、手拍子や掛け声、男声斉唱が加わり、音楽は派手になっていく。
 ちなみに、リプール・エランーエランの「リプール」は「気晴らし」、「スリ・シヌボ」は「敬愛される王女(あるいは王侯)」を意味している。これらの曲の場合、曲名と曲想との関連が明らかではないが、このようなことは、ジャワの伝統曲にはしばしば見られることである。曲名に囚われすぎず、各々の人が自らのイマジネーションの中で曲を捉えて直していけることもジャワの伝統音楽が持つ可能性の一面であるだろう。

3.ルッノ アダニンガル 
 ジョグジャカルタの王スリ・スルタン・ハメンク・ブヲノ9世の命により、舞踊家・振付家であるKRT.サスミント・マルドウォが1978年に創作した舞踊。
 タリは舞踊の意、メナッはイスラム教布教の物語の名前であるが、タリ・メナッ(tari menak)は、通常ワヤン・ゴレッ(wayang golek 木偶芝居劇)の動きを取り入れた舞踊を指す。ルッノ・アダニンガルは中国の女性の名前である。舞踊は、彼女がコパルマン国王ジャイェングロノに思いを寄せ、旅に出る場面を描いている。道中彼女はジャイェングロノを思い浮かべ、身だしなみに気を遣い、妻となる心構えをする。実はジャイェングロノは囚われの身であり、アダニンガルは決死の覚悟で短剣を握り、彼を救うべく敵地へ乗り込んでいくのである。木偶人形を模した手や首の動きが特徴である。

4.クロノ セワンドノ 

 クロノ(klana)は旅、トペン(topeng)は仮面、ガガ(gagah)は荒型、セワンドノ(Sewandana)は王様の名前である。舞踊家・振付家KRT.サスミント・マルドウォとKRT.スナルトモ・チョンドロラドノの共作で1978年に創作された。
 13世紀に書かれたパンジ物語のなかの一場面である。セワンドノ王がジュンゴロ国のデウィ・スカルタジに恋をする。夫としてふさわしい人間となる準備の場面と、恋に落ちて気が触れたようになる場面が交互にあらわれる。修行をしながら成長していく様を旅にたとえているのであろう。急激なテンポやダイナミクスの変化が見どころである。

5.楽舞劇『桃太郎』第2場、第3場

 日本で最も知られた民話『桃太郎』を素材とした、マルガサリ・オリジナルの楽舞劇(スンドラタリ)であり、野村誠を音楽監修に迎えて、2001年から製作が開始された。全5場からなり、2005年に完成予定。本日は第2場、第3場(世界初演)が上演される。
 ワークショップ形式のユニークな作り方が特徴であり、演奏を重ねる毎に大きく変化してゆく。
 第1場では、じじが山へ柴刈りに、ばばが川に洗濯に行く、例の有名な場面から始まり、桃太郎が生まれてくるまでの様子が、幻想的に演じられる。
 そして本日の第2場は、10歳になった桃太郎の、村での生活場面からスタートする。農村では冬が明けたら、豊作祈願のための「おたうえまつり」が行われる。桃太郎はその「くちびらき」の役を仰せつかる。田植えの神事が進行しながら、舞台はいつしか秋に。豊作を祝う盆踊りの輪へ、突如、鬼が襲ってきた。そして、桃太郎にとってショッキングな出来事が起こる・・・。
 第3場は、鬼征伐のために村を出た桃太郎と3匹のお供の珍道中。彼らの行く手を阻むものは・・・? ようやく鬼ヶ島が見えてきたところで第3場は終わる。


 2
■出演

音楽:マルガサリ+野村誠、林加奈
舞踊:ウィヤンタリ、佐久間新
特別出演:バンバン・スリ・アトゥモジョ
     スナルディ
     野村誠
     林加奈
     村上圭子
賛助出演:魚谷尚代

■制作
企画・監修:中川 真
衣裳:水谷由美子、岡部泰民
美術:奥睦美、坪井優子
道具:西真奈美、松田明子
制作協力:HIROS
     HVS
     ティルト・クンチョノ

協力:ガルーダ・インドネシア航空
   (有)ナルナセバ
   ブルーウエイ株式会社
■プロフィール

中川真(企画・監修) Nakagawa Shin
 サウンドスケープ、サウンドアート、東南アジアの民族音楽を主な研究領域とする音楽学者。マルガサリ代表。京都音楽賞、小泉文夫音楽賞、サントリー学芸賞などを受賞。著書に『平安京 音の宇宙』(平凡社)、『小さな音風景へ』(時事通信社)など。2003年に高橋ヨーコ(写真家)とともに日常の「音」をテーマに冒険小説『サワサワ』(求龍堂)を上梓、フィールドワーク研究の新しい発表のスタイルとして注目されている。

マルガサリ(ガムラン) Marga Sari
 1998年に誕生したグループで、大阪府豊能町のスタジオ「スペース天」を本拠としている。ジャワの伝統音楽と新たな創作を本格的に追求する団体として注目をあつめ、猪熊弦一郎現代美術館(丸亀市)、ジーベックホール(神戸市)、アサヒビール(東京)、文化の家(愛知県長久手町)、ザ・フェニックスホール(大阪市)、いずみホール(大阪市)、碧水ホール(滋賀県水口町)など、全国各地で演奏活動を行っている。野村誠、北浦恒人、エイスマ(オランダ)、フッド(アメリカ)、アスモロ(インドネシア)、スボウォ(同)らがマルガサリに新作を寄せる。インドネシア国立芸術大学と提携し、舞踊劇『千の産屋』他の共同作品を生む。現在は楽舞劇『桃太郎』制作に取り組み、全5場が2005年に完成予定。2003年に初のCD『ガムランの現在 Vol.1』をリリース。メンバーは20名、代表は中川真(大阪市大大学院教授)。音楽顧問はシスワディ(インドネシア芸大教官)。
 本日の出演者:家高洋 四方夕香 田渕ひかり 東山真奈美 中川真 西真奈美 西岡美緒 西田有里 林稔子   日置淳志 本間直樹 松宮浩

ウィヤンタリ(舞踊) Wiyantari
 1996年にインドネシア国立芸術大学伝統舞踊科を卒業。シスワ・アモン・ブクソ・コンクール(1996)やジョグジャカルタ演劇フェスティヴァル(1998)などで最優秀などの賞を数多く受ける、ジョグジャカルタの中堅を代表する女性舞踊家、舞踊演出家。アクト・コウベのメンバーとしてフランスでも公演。2000年より日本に在住。

佐久間新(舞踊) Sakuma Shin
 1995年から1999年まで、インドネシア政府給費留学生としてインドネシア国立芸術大学の伝統舞踊科に留学し、その研鑽の成果がジャワで高く評価され、現地の様々な舞踊公演に依頼されて出演。ジョクジャカルタのクラトン(王宮)の嘱託舞踊家として、クラトン主催公演にも多く出演。また、オリジナルな活動として伝統的な技法を用いた創作シリーズ(クタワン形式の楽曲を使用)を開始。マルガサリとジョクジャカルタのプジョクスマン舞踊劇団に所属。舞踊教室「リンタン・シシッ」を日本で主宰する。

バンバン・スリ・アトゥモジョ(ガムラン) Bambang Sri Atmojo
 1959年中部ジャワ、クロン・プロゴに生まれる。1989年に国立芸大(ISI)を卒業後、同大学のスニ・カラウィタン(ガムラン)科の専任教員となり、今日にいたる。グンデルの演奏者として、また奏法研究家として名高い。作曲家としては『Rahayu』(2000)などのガムラン作品のほか、舞踊作品の伴奏音楽も多く手がける。これまでブラジル、日本、フィンランドなどへの海外ツアーに参加した中堅の実力派である。

スナルディ(ガムラン) Sunardi
 1958年ジョクジャカルタ生まれ、1989年に国立芸大(ISI)を卒業。現在はジョクジャカルタ高等芸術学院の副学長、パムランガン・ブクソ・マルドウォ舞踊団の代表を務める。舞踊家としてのみならず、舞踊のための太鼓(クンダン)奏者や影絵芝居のヴォーカリストとして名高い。音楽・舞踊の教育のエキスパートとしても働き、ジャワで最も多忙な演奏家のひとりである。これまでヨーロッパ各国、ブラジル、シンガポール、日本への海外ツアーに参加している。

野村誠(作曲) Nomura Makoto
 1968年名古屋生まれ。8歳の頃、自発的に作曲を始める。CDブック「路上日記」 (ペヨトル工房)、CDに「Intermezzo」(エアプレーンレーベル)、「せみ」(Steinhand)など。作曲作品に、「だるまさん作曲中」(2001:ピアノと管弦楽)、「つみき」(箏2重奏)など多数。2003年、アサヒビール芸術賞受賞。ほ かには、JCC ART AWARDS(96年)、NEW ARTISTS AUDITION 91(SONY MUSIC ENTERTAINMENT)グランプリ(91年)などを受賞。現在、京都女子大学児童学科講師。今後、Groningen Jazz Festival(オランダ)での演奏、Ikon Gallery (イギリス)での新作発表、山口情報芸術センター(山口)でのオーケストラコンサー ト、えずこホール(宮城)でHugh Nankivell(音楽家)との新プロジェクトなどの活動を予定。

林加奈(音楽) Hayashi Kana
  1973年東京生まれ。東京芸大大学院(油画)修了。 「ハナナガ星人」「がわんとわん」などという、物語のような絵を描いている。 交代で絵をズームしながら描いていく「かわりばんこ絵画(しょうぎ絵画)」という 共同制作にも取り組む。 楽譜が絵になっている「いかにしてカレー」、自身の絵画作品「犬が行く」をテーマ とした「犬が行く」などを作曲。鍵ハモやおもちゃ楽器をたくさん使って演奏する。 鍵盤ハモニカオーケストラ「P-ブロッ」のメンバー。空手初段。

村上圭子(シンデン) Murakami Keiko
 東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。在学中、故小泉文夫教授に師事し、民族音楽学およびジャワ・ガムラン演奏を学ぶ。卒業後、1985年よりスンダ(西ジャワ)のガムラン・ドゥグン、1988年よりトゥンバン・スンダを学び、以来演奏活動を続けて現在に至る。ジャワ・ガムランのグループ「ランバンサリ」とスンダ音楽グループ「パラグナ」のメンバー。

魚谷尚代(「桃太郎」役) Uotani Hisayo
 劇団OBTなどで演劇活動を行う。創作ミュージカル「俺とお前の日常」の作曲を担当。ガムランを中川真に学ぶ。大阪芸術大学音楽学科演奏研究コース4回生。

水谷由美子(衣裳デザイン) Mizutani Yumiko
 「時遊劇場・平安絵巻十二単衣」(京都会館第二ホール)、歌舞組曲「瑠璃いろの 煌・風にのって」(山口市民会館大ホール)などオペラ・舞踊等の衣装を多数手掛け る。ファッションショー「サビエルの道」(山口サビエル記念聖堂・1998)と「ファッ ション・エクスプレスC571ー未来への旅」(JR山口線SL小郡ー津和野間・ 2000)の企画・演出・服飾デザインにより山口メセナ倶楽部「第4回・6回メセナ大 賞」受賞。永久保存作品「時空を越えた花嫁・花婿」(中国・モンゴル自治州立博物 館)。やまぐち・きらら博「いきいきエコパーク」(2001/7〜9)の制服デザイン。 衣装作品「東方の風」をパリにて発表(2001)。やまぐち文化発信ショップ運営委員 および(有)ナルナセバ顧問として国際交流や地域文化を発想源とする商品開発研究 を行う。現在、山口県立大学教授。ヘルシンキ芸術デザイン大学大学院UIAH客員教授。

岡部泰民(衣裳製作) Okabe Yasutami
 やまぐち県民文化祭のメインミュージカル「地球へ・・」(ルネッサ長門)、 「Dancing Angels」(山口県教育会館)の衣装製作。ルネサンス・山口のファッショ ンショー、クリスマスファッションショーなどのスタッフとして参加。山口県立大学 大学院国際文化学研究科2年生在学中で、大学院の実験的なサテライト研究室を内包 する(有)ナルナセバにて、地域性に根ざした衣服や生活小物の企画、製造等を行う。 ジャパン・ファッションデザインコンテスト・イン・山口の実行委員長を務め地域文 化・産業の活性化を支援。現在、ブルーウエイ株式会社取締役。日本モデリスト協会 会員。ファッションビジネス学会会員。


 3

■桃太郎のつくりかた

中川 真
大阪市立大学教授
マルガサリ主宰

 『桃太郎』は5年がかりで制作されます。全5場の予定で、2001年にスタート。完成は2005年です。なぜ、そんなにゆっくりしたペースなのか? それは、独特のつくりかたをしているからです。

 『桃太郎』の構想はずいぶん早くからありました。1995年くらいからだったと思います。マルガサリの以前に、ダルマブダヤというガムラングループの代表をしていた私は、1996年にダルマブダヤとともにインドネシアのツアーを挙行、それなりの成功をおさめました。演奏したのは現代曲ばかり。マイケル・ナイマン、ジョン・ケージ、ポーリン・オリヴェロス、ウィル・エイスマ、松永通温、七ツ矢博資、野田雅巳・・。そして、このとき野村誠が初めてのガムラン作品『踊れ! ベートーヴェン』をつくり、ツアーに同行したのでした。その『踊れ!・・』体験が、私に色々なことを考えさせてくれました。野村さんの音楽の作り方は、これまでのものとは全く異なる・・・。『踊れ!・・』は、野村さんが楽譜を書いてきて、それを私たちが演奏するというスタイルではあったのですが、練習中にどんどん姿を変えてゆく。また、演奏者の意見を大胆に採り入れてゆく。これほどまでにガムランによる創作の楽しさを思う存分に味わったことはありませんでした。作曲家の書いた譜面をただただ一生懸命に再現するのとは違う・・・。私のなかに「野村誠」は最も大切な作曲家としてインプットされました。

 ちょうどその頃から、劇場的な作品(シアターピース)をつくってみたいという願望を抱くようになりました。そもそもガムランは共同作業的な媒体です。インドネシアでは、影絵芝居、演劇、舞踊などともにガムランが用いられています。むしろそれが当たり前。その方が、またガムランの音も生き生きしてきます。ある意味で、西洋のオーケストラの器楽曲と同様、ガムランだけの演奏は抽象的です。それがコスモロジー(宇宙論)と通じているにせよ、実感できることは稀です。言葉であれ、身振りであれ、光であれ、なんらかの共同者を得ることによって、ガムランの音は突如、具体性を帯び始めます。そういった作品を私たちのオリジナルとしてつくれないだろうか?

 そこで閃いたのが桃太郎なのです。
 なぜ桃太郎なのかは、くどくどとここでは書きません。要約すれば、(1)ストーリーが非常にシンプルであること。シンプルであるがゆえに、様々な解釈の余地が残されている。(2)アジアに広がるラーマーヤナ神話や、モーツアルトのオペラ『魔笛』などとの共通性があり、海外でも素早くうけとめてもらえるのではないか。以上です。
なぜ桃太郎なのか。
この部分については本公演のチラシにもう少し長い文章があります。
 その構想を抱きながら、徐々に準備に着手しました。1996年に大阪府青少年センター主催の2泊3日の研修「アートでリクリエーション」というイベントを企画したのですが、そのときにサウンドアーティストの鈴木昭男さん、ダンサーの和田淳子さんに講師をお願いし、50人の受講生とともに合宿状態で、桃太郎の演劇化に取り組みました。10人ずつのチームを5つ組織し、物語の各場面を分担してつくり、最後に全編をつなぎ合わせて上演したのですが、とても面白かった。場面が転換するごとに桃太郎役のキャラクターも変化し、この物語の容量の大きさを窺わせたのでした。何しろ、みんなが知っている筋ですから、つくりやすかった。私は『桃太郎』でいけることを確信したのでした。
 野村さんとは、その後『せみ』(2000)で再会しました。このときぐらいから、野村さんには楽譜を使わないで作曲することをお願いしました。つまり、口頭伝承というか口頭創作ですね。楽譜を視るという行為を省略して、できる限り、野村さんの感じていることを直接受け取る。その結果として、創作の方法をさらに変化させてゆく。作曲を作曲家まかせにしないで、応分の責任を演奏者も背負う。そういう考え方です。野村さんは私たちとともに即興演奏を繰り返しながら、音楽の種子を発見してゆきました。そして、その目の、いや耳のつけどころが、さすが天才的なのです。そして機も熟し、いよいよ2001年から野村さんとともに『桃太郎』をつくることにしました。
野村誠『せみ』
桃太郎第2場でも少しだけ出てきます・・が、ここから、変容を続ける『せみ』の全体を想像するのは難しいかもしれません。多分CDをロビーで発売中
 第1場は2001年の5月から創作をスタートし、完成したのが9月。作り方がワークショップ的(将棋作曲の方法を導入)なので、時間がかかります。そして2002年に第2場をつくりました。ここでは具体的に、第2場以降の作り方を書きましょう。
第1場は
2001年9月に碧水ホール,フェニックスホール(大阪)で初演されました。


 第2場の初演は8月4日(奈良市氷室神社)と決まっていました。逆算して4月から作り始めることを決定。第2場は桃太郎の成長してゆくありさまを描きます。農村の風景ですから、題材を「農作業」にしました。そこで思いついたのが、「お田植え神事」を核にすることです。奈良市での上演ということで、何か地域性を盛り込めないかと考えていた私は、奈良県全域に伝わる「お田植え神事」を思い出したのです。 奈良市氷室神社、昼の部では、かちわり氷が配られました。暑い日でした。
第1場を再演、第2場は初演。
 ちょうど1990年前後に私は奈良県の神社約60カ所において「お田植え神事」の調査をしていました。その全てをビデオで記録しました。それを見ながら構想を練ることにしました。また、お田植え神事が春の情景だとすれば、秋には収穫の祝いの風景が必要だ。そこで盆踊りを組み込みました。これもまた奈良県の十津川村の盆踊りの様式を取り入れました。そういう奈良色が第2場の基調となっています。しかし、それだけではちょっと弱い気がする。

 たまたま2002年の3月に、私と野村誠さんが招聘され、インドネシア国立芸術大学の大学院にて作曲の集中講義をすることになりました。
中川真は著名なフィールドワーカーでもあります。
最近作では、インドネシアでのフィールドワークの研究成の果を発表するのに小説という方法を選んだ(!)作品「サワサワ」を書いています。
私はこの機を逃しては損だと思い、作曲作品だけではなく、受講生(10人弱)に「田作りの風景、集団で演じなさい」というシアターピースづくりを、課題として提示したのでした。林加奈さんもアシスタントに来てくれて、準備は大きな盛り上がりを見せ、1週間の講義の最終日には、学生の作品発表、将棋作曲、野村さんのピアノ自作独奏とともに、「田作り」作品も上演されました。インドネシアはさすが米どころ、それはそれは面白い作品ができあがりました。実は、第2場のベースには、インドネシアの芸大のシアターピースが横たわっているのです。
ピアノ自作独奏・・
多分「たまごをもって家出する」を演奏したのですね。
 もちろん、現在の第2場は、そこから大きく逸脱しています。例えば、冒頭の場面「願い候ふ」では、村人が豊作祈願にこと寄せて、様々な個人的祈願も行います。それらのセリフは各自で考えてきて、リハーサルのときに口に出します。「それ、いいですねぇ」「却下!」など、様々なやりとりが飛び交います。練習初期に、私の下原稿ともいうべき台本が提示されるのですが、最終的にはほとんどが失われ、あるいは変化して別モノになってしまいます。その制作方法のダイナミクスがみなさんに伝わればと思っているのですが。 個人的祈願・・
「バケツ一杯のプリン・・」と言う表現が出てきて、印象に残っています。単に個人的願望として面白いだけでなく、表現として広がりを持っています。今回はでてくるか?
 但し、こういう作り方の利点というか難点(?)は、練り上げられながらも、常に変化し続けるということで、昨日まで憶えていたセリフがパーになることなんて日常茶飯事。どんどん変わってゆく。例えば、第3場最後の印象的なシーン(どんなシーンかは具体的には伏せますが)は、9月11日のリハーサルのときに突然思いつかれました。前日まで、全くなかったシーンが5分ほど生まれるのです。こういう状況ですから、照明担当の人との事前打ち合わせの意味が、ほとんどなくなってしまう・・・。厄介な作り方としかいうほかありません。何しろ、台本や楽譜の最終稿がつくれないのです。 2003年6月いずみホールでのコンサートでマルガサリにより初演された野村作品「ペペロペロ」の作曲風景を、スペース天(能勢町)で見みました。エキサイティング。 このコンサートのCDは9/10発売です。
本公演でも多分ロビーで販売中。


ホントに困っています。
 場ごとに、野村さんは作り方の基本線(例えば「将棋作曲」「即興演奏」・・)を決めます。それに従って、私たちは自分の意見をどんどん出してゆく。本当に効率の悪い作り方かもしれません。時間がかかる。しかし、こういう「プロセス的手法」は、作品が本当に血肉化してゆく。それはまさに自分たちの血肉から出たものですから、共振の度合いが強烈です。リハーサルを見に来た人は、その混沌に驚くかもしれません。そして、私はその混沌を最終的に必然の流れへと導き出してゆく、野村さんの能力に改めて舌を巻くのです。 本年8月、碧水ホールでのワークショップ『親子で楽しむ野村誠の世界』はその様子を想像させます。
その時しょうぎ作曲で生まれた新曲『スケ子っ!!!』は絶対に名作です。
いつかCDに。

合いの手:中村道男@碧水ホール


 4

■『桃太郎』第1場「桃太郎の誕生」台本

 上演記録:2001年9月24日 ザ・フェニックスホール
      2001年9月29日 碧水ホール
      2002年8月4日 氷室神社(奈良市)


 じじが友だち2人とともに山に柴刈りに来る。じじ、上手から登場、中央へ小走りで。じじの友1、2も登場。

じじたち3人:ホイホイホイホイ・・。

  じじ、舞台の中央。友だち1,2は舞台の両脇に座る。ガムラン板付き。じじ、かなりテンション高く。

じじ:あーしんど、しんど。やっと山に着いたわ。遠いんでな、足は痛い、腰は痛い、腹は減りよる。さぁて、どうしたものか・・。お、弁当を食べよ。・・・あかん、あかん、ばあさんに怒られるわ。仕事を先に済ませにゃな。わしは山で柴を刈るのが仕事じゃ。仕事の前には山のカミに祈ることになっとる。山のカミはえらい別嬪でのぅ。祈りましょう。さぁーて、東を見ればー、ひつつき山、福のカミー、南を見れば、みののみの丘、福のカミー、西を見れば、にきにき谷、福のカミー、北を見れば、きららの川、福のカミー、東西南北八万里に恵みを与えたまえー。(この間、2人のじじはつっこみを入れる)・・ああ、しんど。こりゃ、柴を刈るよりしんどいわ。さぁ、さて、柴を刈ろうかの。(柴を刈り始める)・・・よー、助けてくれよ。
じじ友(1)(2):はいよ。

 友、舞台中央へ。3人でリズミカルに柴を刈り始める(竹を打つ)。やがて、ガムランにも伝染し、竹の音具で柴刈りのリズムに呼応する。

(音楽)「レゲエ」

 この間、音楽が2回中断し、ジャワ語での語りが入る。
「Wonten carios lelampahanipun Ojisang lan Obasang; Satunggaling dinten Ojisang dateng wana pados kayu, dene Obasang dateng lepen;
Kocap....rikala wanten lepen Obasang manggih wowohan ingkang kentir sanget agengipun, inggih puniko woh "MOMO".」

(音楽)「シシババ」

「Sesampunipun woh momo kabeta wangsul dateng griya, kaelokaning kodrat, rikala bade kadahar dening Obasang lan Ojisan medal larenipun, ingkang kondang kasebat "MOMO TARO".」

 3人のじいさんの踊りが盛り上がる。竹筒を持ってダンス。やがて3人、下手に引く。

(音楽)「やまでら」→「こっしんはな」で夕暮れを迎える。
 
 朝。川の流れる情景。舞台中央で、ばばが洗濯をしている。森のわらし(精)の会話が始まる。


わらし(1):洗ってあげましょうか?
わらし(2):いらない。
わらし(1):すもももももももものうち
わらし(2):すもももももももものうち
ばば:洗ってもろたら、ええんちゃうのん。
わらし(1):洗ってあげましょうか?
ばば:どこから来たん?
わらし(2):いらない
ばば:そんなん、いらんとかゆわんと。
わらし(1):洗ってあげましょうか?
ばば:すももや、ももや、ゆうてから、ほんま。
わらし(2):いいえ
ばば:ふわー、眠いわ。・・・・・ねむい、ねむい・・。

 ばば、眠たいそぶりをしながら上手に倒れ込む。

 下手から、カミ1入場。カウベルの音。

(音楽)「カミダンス」

 上手からカミ2、3登場。音楽はゆっくり、徐々に楽器を増やし、速くなる。和太鼓が入ったところから、ドンブラコ・ダンスに移行。

カミ:ドンブラコ、ドンブラコ・・・
全員:ドンブラコ、ドンブラコ・・・

 音楽はいっそう激しくなる。演奏者もドンブラコを叫ぶ。クライマックスを迎え、カミ1は退場。カミ2,3は「桃の旗」を持って激しく振り回す。やがて、それが中央でとまると、桃の精が現れて優雅に踊る。

(音楽)静かな音楽

 桃の精、消える。やがて、舞台中央後方の旗が細かく震え始める(桃の精は旗の裏側で衣裳を着替える)。そして、重なっていた旗ががふたつに割れる。赤ん坊の誕生。じじ、ばば、驚き喜ぶ。ばばが赤ん坊をかかえて踊りながら退場。じじも退場。
(音楽)「太郎誕生」

 第1場おわり。

 
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