プログラム
第1曲:小協奏曲『ガムラン音楽入門』全3楽章(ティルト・クンチョノのために)
第2曲:『Blue Forest(碧の森)』(マルガサリのために)
○第1幕
1. はじまり:碧の森のイメージと精霊を呼び寄せる。
2. 日曜日にハイキングに行くように、軽やかな足取りで無邪気に森のなかに入っ
てゆく。
3. 神秘と畏敬の感触。これこそが碧の森がもつ力だ。
4. 親しげな精霊が私たちのまわりを飛び交う、歓びの瞬間。
○第2幕
1. 静かな場所で瞑想する。しかし恐ろしげな音がきこえてくる。
2. いつのまにか、私たちを誘惑し混乱させるダンサーの踊る舞台に出くわす。
3. その舞台から逃れ出て、誘惑の力と危険について思い起こす。だがそれも忘却のかなたとなり、徐々に平静さやユーモアなどを取り戻す。
○第3幕
1. 影絵芝居。それはこれまでの道程を、もういちど古代の神話に託して語る場面である。インドの叙事詩『マハーバーラタ』のなかの戦士であるビモが旅に出て、恐怖や誘惑に遭遇する。彼は自分の内なる、そして外にもある怪物と戦う。自分にうち克つことによって強くなっていく。
2. 影が消える。私たちは色々な土地の歌をうたう。そのおかげで立ち直り、我が家へと戻っていく。
『碧の森』に寄せて
ヴィンセント・マクダモット Vincent McDermott(作曲家)
アメリカの作曲家が日本人の演奏家とともにインドネシアの楽器で音楽をつくる。
変なことだと思いませんか? いったいどういうコンサートなのでしょう? 何が起こるのでしょう? しかし考えてみれば、世界は日ごとに近くなってきている。簡単に遠くまでいけるし、遠くの人々に出会うこともできる。そして一緒に過ごすことも難しくない。だから、そんなに変わったことをやろうとしているわけでもないのです。
いつもと同じように、私たちは移動したり、見たり、聴いたり、学んだり、分かち合ったりしているだけ。今日のコンサートもそういうふうに考えてみましょう。遠く隔たっている人々がここで出会い、何かとても大切なものを発見しようとしています。それをみなさんにも感じ、共有してほしいと願っています。
3つの国の文化が出会うできごとの中心にあるのが、いまみなさんの目の前にある楽器、ガムランです。個々の楽器は別々の名前をもっていますが、魔法のような音をつくりだすこの楽器群全体をガムランと呼びます。ガムランはジャワやバリに数万とあることでしょう。しかし同時に世界中にも広がっています。おそらく日本には40セット以上、そしてアメリカ合衆国には300セット以上ものガムランがあります。そればかりではない、オーストラリア、ニュージーランド、マレーシア、シンガポール、香港、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、スウェーデン、ハンガリー、ポーランド、イタリア、トルコ、イスラエル、メキシコ、カナダなどに至るまである。ほんとうにいったい何が起こっているのか? 経済を進展させるために私たちはインドネシアから石油を買っている。またガムランも買っている。それはなぜなのか ガムランは素晴らしい音楽であり、魂に栄養を与えてくれるからなのです。
今日のコンサートには関西の2つのガムラングループが登場します。第1のグループの本拠地は、今まさにあなたが座ってらっしゃるこの建物にあります。このホールで練習をやっています。出来たてで、やっと3年目を迎えたばかり。ティルト・クンチョノ(「黄金色の水」という意味)がそれです。もうひとつはマルガサリ(「花の道」の意味)で、こちらは7年の歴史をもっている。ただ、メンバーはもっと古くからガムランをやっていて、ほとんどがジャワ留学の経験があります。マルガサリは大阪を本拠として日本の各地で演奏を行い、近くには海外へのツアーの予定もあると聞いています。今回のコンサートは、このふたつのグループの情熱と創造性が可能ならしめたものです。
両方のグループとも、ジャワの古典音楽とともに新しい音楽も演奏します。ただ、これはジャワでも、その他の地域でも珍しいことではありません。このコンサートでもまた新しい音楽をやってみようということで、私が招聘されたのです。それがアメリカからやってきたヴィンセント・マクダモット氏なのです。プロフィールにも書かれていますが、私はガムランだけではなく、西洋クラシック音楽の作曲もしています。
このコンサートでは大半は私のオリジナル作品ですが、部分的には共同作品、つまり今日の演奏家たちと一緒に考えたものによっています。グループの創造性というのがマルガサリの売りでもあるからです。
ヴィンセント・マクダモット教授の招聘は中川真教授の手はずで行われました!
中川氏はマルガサリだけではなく、この地域のガムラン活動全般の仕掛人です。ティルト・クンチョノもまた中川氏の影響下にあります。氏は大阪市立大学の教員で、私の来日も大阪市大が受け入れ、フルブライト財団のシニア・スペシャリスト・プログラムによって支援されています。
本日のコンサートは、全体でひとつのものとして構成されています。私たちが映し出したいイメージ、話したい物語、伝えたいメッセージによって組み立てられています。ただひとつの例外は、ティルト・クンチョノが演奏する曲で、これはコンサート全体の前奏曲となっています。つまり開始を知らせる役目をもっているのです。
さて、本日の作品のコンセプトですが、メンバーの佐々木宏実氏をはじめ、みなと話し合って出来あがったものです。そのイメージは「碧い森」というものでした。森といえば平和で穏やかさに満ちた場所と思いがちですが、また危険や恐怖の空間でもあるのです。私たちはその森に入ってみる。まずは穏やかで愛すべきものに出会う。でも、そのうち野性の激しさにも出会うのです。これは人生に似ていませんか? この森に入り込み、そこからうまく脱出してくるのです。
西洋クラシックの作曲家は長い時間をかけて作品をつくり、細部まで磨き上げます。1時間の曲をつくろうと思えば、作曲には何ヶ月もかかります。しかし今回は奇妙な要求を受けました。中川氏は私が大阪に着くまでに決して曲を書いてはいけないといったのです。アタマを空っぽにして、まずは日本の様子やマルガサリのやり方を知ってほしい、と。この要請に私はほとんど従いました。大半の音楽はこの6週間の間につくられたのです。さて、その結果がどうなるか・・。
コンサートはティルト・クンチョノの前奏曲の後、『碧の森』は途切れなく、最後
まで一気に上演されます。もちろん両曲とも世界初演です。
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組曲「碧の森」
霧のごとく音楽が立ち昇ってくる・・・。
ここは碧い森。
美しく澄みきっていて、不可思議。
人々を瞑想に誘う静けさ。
瑞々しい露の輝き、光を含んだ霧がきらきらとゆらめく。
魔法に満ちるこの空間では妖精が飛び交い彼らの歌は響き合う。
しかし。
この森の深部ではまた、
悪意に満ちた精霊が潜み、
誘惑や危険の存在を人々に気づかせんとじっと時期をうかがっている。
もちろん我々は知っている。
静かな美というものはこの世界のある一面を表すものでしかないということを。
この平穏な美を持ち上げ、手元に引き寄せ、賞賛するがいい。
でも忘れてはならない、それを少しでも裏返せば
そこには恐るべきも静謐をうち砕くあの森が現れることを。
これが碧の森の生というものなのだ。
ヴィンセント マックダモット
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