碧の森
もうひとつのガムラン
作曲家 ヴィンセント・マクダモット氏を迎えて
プログラム(抜粋:構成も異なります。)

2005年6月5日日曜日 14:00開場 15:00開演 第2部



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『碧の森』・TKはビンセント・マックダモットと出会った


(2005年6月5日に碧水ホールで開催された「碧の森〜もうひとつのガムラン」のパンフレットからhtml 版です。)





碧の森
もうひとつのガムラン
作曲家 ヴィンセント・マクダモット氏を迎えて

















2005年6月5日日曜日 14:00開場 15:00開演 碧水ホール








■『碧の森』に寄せて ビンセント・マックダモット
■ヴィンセントという背骨 中川真

ヴィンセント・マックダモット プロフィール




プログラム


第1曲:小協奏曲『ガムラン音楽入門』全3楽章(ティルト・クンチョノのために)

第2曲:『Blue Forest(碧の森)』(マルガサリのために)

○第1幕
1. はじまり:碧の森のイメージと精霊を呼び寄せる。
2. 日曜日にハイキングに行くように、軽やかな足取りで無邪気に森のなかに入っ てゆく。
3. 神秘と畏敬の感触。これこそが碧の森がもつ力だ。
4. 親しげな精霊が私たちのまわりを飛び交う、歓びの瞬間。

○第2幕
1. 静かな場所で瞑想する。しかし恐ろしげな音がきこえてくる。
2. いつのまにか、私たちを誘惑し混乱させるダンサーの踊る舞台に出くわす。
3. その舞台から逃れ出て、誘惑の力と危険について思い起こす。だがそれも忘却のかなたとなり、徐々に平静さやユーモアなどを取り戻す。

○第3幕
1. 影絵芝居。それはこれまでの道程を、もういちど古代の神話に託して語る場面である。インドの叙事詩『マハーバーラタ』のなかの戦士であるビモが旅に出て、恐怖や誘惑に遭遇する。彼は自分の内なる、そして外にもある怪物と戦う。自分にうち克つことによって強くなっていく。
2. 影が消える。私たちは色々な土地の歌をうたう。そのおかげで立ち直り、我が家へと戻っていく。



『碧の森』に寄せて

ヴィンセント・マクダモット Vincent McDermott(作曲家)

 アメリカの作曲家が日本人の演奏家とともにインドネシアの楽器で音楽をつくる。  変なことだと思いませんか? いったいどういうコンサートなのでしょう? 何が起こるのでしょう? しかし考えてみれば、世界は日ごとに近くなってきている。簡単に遠くまでいけるし、遠くの人々に出会うこともできる。そして一緒に過ごすことも難しくない。だから、そんなに変わったことをやろうとしているわけでもないのです。
いつもと同じように、私たちは移動したり、見たり、聴いたり、学んだり、分かち合ったりしているだけ。今日のコンサートもそういうふうに考えてみましょう。遠く隔たっている人々がここで出会い、何かとても大切なものを発見しようとしています。それをみなさんにも感じ、共有してほしいと願っています。

 3つの国の文化が出会うできごとの中心にあるのが、いまみなさんの目の前にある楽器、ガムランです。個々の楽器は別々の名前をもっていますが、魔法のような音をつくりだすこの楽器群全体をガムランと呼びます。ガムランはジャワやバリに数万とあることでしょう。しかし同時に世界中にも広がっています。おそらく日本には40セット以上、そしてアメリカ合衆国には300セット以上ものガムランがあります。そればかりではない、オーストラリア、ニュージーランド、マレーシア、シンガポール、香港、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、スウェーデン、ハンガリー、ポーランド、イタリア、トルコ、イスラエル、メキシコ、カナダなどに至るまである。ほんとうにいったい何が起こっているのか? 経済を進展させるために私たちはインドネシアから石油を買っている。またガムランも買っている。それはなぜなのか ガムランは素晴らしい音楽であり、魂に栄養を与えてくれるからなのです。

 今日のコンサートには関西の2つのガムラングループが登場します。第1のグループの本拠地は、今まさにあなたが座ってらっしゃるこの建物にあります。このホールで練習をやっています。出来たてで、やっと3年目を迎えたばかり。ティルト・クンチョノ(「黄金色の水」という意味)がそれです。もうひとつはマルガサリ(「花の道」の意味)で、こちらは7年の歴史をもっている。ただ、メンバーはもっと古くからガムランをやっていて、ほとんどがジャワ留学の経験があります。マルガサリは大阪を本拠として日本の各地で演奏を行い、近くには海外へのツアーの予定もあると聞いています。今回のコンサートは、このふたつのグループの情熱と創造性が可能ならしめたものです。

 両方のグループとも、ジャワの古典音楽とともに新しい音楽も演奏します。ただ、これはジャワでも、その他の地域でも珍しいことではありません。このコンサートでもまた新しい音楽をやってみようということで、私が招聘されたのです。それがアメリカからやってきたヴィンセント・マクダモット氏なのです。プロフィールにも書かれていますが、私はガムランだけではなく、西洋クラシック音楽の作曲もしています。
 このコンサートでは大半は私のオリジナル作品ですが、部分的には共同作品、つまり今日の演奏家たちと一緒に考えたものによっています。グループの創造性というのがマルガサリの売りでもあるからです。
 ヴィンセント・マクダモット教授の招聘は中川真教授の手はずで行われました!
   中川氏はマルガサリだけではなく、この地域のガムラン活動全般の仕掛人です。ティルト・クンチョノもまた中川氏の影響下にあります。氏は大阪市立大学の教員で、私の来日も大阪市大が受け入れ、フルブライト財団のシニア・スペシャリスト・プログラムによって支援されています。


  本日のコンサートは、全体でひとつのものとして構成されています。私たちが映し出したいイメージ、話したい物語、伝えたいメッセージによって組み立てられています。ただひとつの例外は、ティルト・クンチョノが演奏する曲で、これはコンサート全体の前奏曲となっています。つまり開始を知らせる役目をもっているのです。
 さて、本日の作品のコンセプトですが、メンバーの佐々木宏実氏をはじめ、みなと話し合って出来あがったものです。そのイメージは「碧い森」というものでした。森といえば平和で穏やかさに満ちた場所と思いがちですが、また危険や恐怖の空間でもあるのです。私たちはその森に入ってみる。まずは穏やかで愛すべきものに出会う。でも、そのうち野性の激しさにも出会うのです。これは人生に似ていませんか? この森に入り込み、そこからうまく脱出してくるのです。
 西洋クラシックの作曲家は長い時間をかけて作品をつくり、細部まで磨き上げます。1時間の曲をつくろうと思えば、作曲には何ヶ月もかかります。しかし今回は奇妙な要求を受けました。中川氏は私が大阪に着くまでに決して曲を書いてはいけないといったのです。アタマを空っぽにして、まずは日本の様子やマルガサリのやり方を知ってほしい、と。この要請に私はほとんど従いました。大半の音楽はこの6週間の間につくられたのです。さて、その結果がどうなるか・・。

 コンサートはティルト・クンチョノの前奏曲の後、『碧の森』は途切れなく、最後 まで一気に上演されます。もちろん両曲とも世界初演です。








組曲「碧の森」

霧のごとく音楽が立ち昇ってくる・・・。
ここは碧い森。
美しく澄みきっていて、不可思議。
人々を瞑想に誘う静けさ。
瑞々しい露の輝き、光を含んだ霧がきらきらとゆらめく。
魔法に満ちるこの空間では妖精が飛び交い彼らの歌は響き合う。
しかし。
この森の深部ではまた、
悪意に満ちた精霊が潜み、
誘惑や危険の存在を人々に気づかせんとじっと時期をうかがっている。
もちろん我々は知っている。
静かな美というものはこの世界のある一面を表すものでしかないということを。
この平穏な美を持ち上げ、手元に引き寄せ、賞賛するがいい。
でも忘れてはならない、それを少しでも裏返せば
そこには恐るべきも静謐をうち砕くあの森が現れることを。
これが碧の森の生というものなのだ。

     ヴィンセント マックダモット



ヴィンセントという背骨

中川真(マルガサリ代表)

 実は、このコンサートはマルガサリが初めて行う、有料の自主企画コンサートです。
 無料では私たちのスタジオ「スペース天」にて、10回以上のコンサートを開いてきましたが、それ以外の全てが依頼演奏であったのは不思議な感じもいたします。このコンサートを開催するにあたっては甚大なるご支援を各方面からいただきました。賛助出演いただくティルト・クンチョノ、とうもろこし、ヴィンセント氏のほか、碧水ホール、甲賀市教育委員会、大阪市立大学都市文化研究センター、アサヒビールなど、多くの方々、機関の援助があって成り立っております。心よりお礼申し上げます。また、足をお運びいただいたみなさまにもお礼申し上げます。

 ヴィンセント・マクダモット氏と初めて会ったのは、そう古いことではありません。
 1年少し前のある日、ジョグジャカルタにある私の大学のオフィスに彼は訪ねてきました。その前にメールのやりとりがあっただけで、私は彼の音楽については全く知りませんでした。日本に行って創作活動したいという。そこで、私はあなたの曲を聴かせてくださいと言って、いくつかの曲が入ったCDとスコアをもらいました。
 正直言って、少し躊躇しました。その音楽はアメリカ的といってよい好ましい大らかさをもっていたものの、毒が足りないように思いました。ルー・ハリソンやポーリン・オリベロス、ジョン・ケージなどのガムラン作品をすでに演奏していた私には、強い個性に欠けるような気がしたのです。もちろん、その時には、彼が日本に来てから示したような驚くべき粘り腰や、融通無碍な性格については気づかなかったわけですが。
 2度目に会ったときに正直に言いました。あなたの作風は穏健で、私の求めているものとは少し違う、と。彼は戸惑ったようですが、特に反論することもなく私の話を聞いていました。そのように言われるのなら、いっそう中川と仕事がしたくなったとすら言うのです。
 そこで私はひとつの提案をしました。あなたは70歳を超えている。世間ではいい歳だ。でも、もし日本に来て、これまでにない新しい実験に取り組んでくれるのなら、招聘したいと言いました。私にはホセ・マセダが80歳を超えてもまだ新作を作り続けた姿が目に焼きついていました。マセダの80歳の頃にガムランの新作を委嘱したことがあります。言い方は失礼ですが、お年寄りを鼓舞し、さらに前進してもらうというのが私の責務でもあるような気がします。私自身、年寄りになっても挑戦的でありたいという願いがあります。しかし、誰かがその尻を叩かねばならない。そういう意味合いで、私はヴィンセント氏に賭けてみようと思いました。

 そこで作曲委嘱にあたってひとつの条件を出しました。これまでの作曲法に極力頼らないという方針を徹底させるために、4月に来日するまでに、絶対曲を考えないでほしいと申し出ました。実は、4月末にマルガサリは、知的障害のある人たちとの実験作品『さあトーマス』を上演することになっており、その最新のマルガサリの姿を見た上で、曲づくりを開始してくださいと言いました。彼はそれを了解しました。もう後には引けません。私はフルブライト財団に長文の申請書類を送りました。去年 (2004)の夏のことです。

 彼の来日の直前に、たまたまマルガサリのメンバーである佐々木宏実氏がジョグジャカルタに行くこととなり、彼女に交渉ミッションを委託しました。本日の作品コンセプトの大半は彼女とヴィンセントとの対話のたまものです。

 さて、来日してからの彼は、とても精力的でした。何しろ私は2つのグループに新作を書いてくれと言ったのですから。月曜と土曜がマルガサリ、水曜がティルト・クンチョノというパターンで、それぞれの練習場所に通いました。ティルト・クンチョノには、ベンジャミン・ブリテンの名作『青少年のための管弦楽入門』にヒントを得た、ジャワ音楽入門のような作品をつくることとなりました。本日はヴィンセント氏本人のナレーションによる上演となるはずです。これは3楽章からなっているのですが、『碧の森』を作り終えたいま、この『小協奏曲』が実にうまく『碧の森』とリンクしていることが分かります。例えば、第3楽章に「家に帰って・・I am going home」という歌があるのですが、それは碧の森から家に戻っていくという『碧の森』 の最終場面を暗示しているのです。このような凝った織物のようなテクスチュアをつ くっていくのがヴィンセント氏の特性であり、それは常に目立たぬ形で作品のなかに 埋め込まれています。どちらかといえば玄人受けする作曲家なのかもしれません。大 向こうをうならせるというよりは、じわ〜っと効いてくる感じです。

  彼は自分のことをノマド(遊牧民)だと言います。確かに、何度も結婚と離婚を繰り返す彼の性分はノマドです。しかし、そういう私生活的なことよりも、むしろ音楽に対する彼のスタンスこそがノマドと言えそうです。西洋音楽だけでは飽きたらず、インド、ジャワへの音楽遍歴、そしていま日本にいて、その後はトルコ、イタリアに住む計画をしている。紛争後のサラエボにも住んでいたらしい。まるで浮き草のようでありながら、それらの音楽を重層的に取り込んでいく。いったいその果てはどうなるんだろうと溜め息が出そうです。これがアメリカの相対主義の具現なのかどうか私には判断はつきませんが、常に「満たされない」という感覚は、とてもよく理解できます。実は、この練習期間中にも私は彼に、作風がまだまだ穏健だという「激烈な」メールを何度も送りました。彼はそれに対して決して激することなく、言いたいことはいっぱいあるが「あなたの意見には賛成しかねる」と返し、また「微笑を忘れないでおこう」とも添えてくるのでした。私の苛立ちは、彼の音楽の表層に対するものであり、じっくり楽譜を眺めていると、さきほども書いたような巧妙な仕掛が随所になされています。おそらく、そういった深層に容易に到達できない自分への苛立ちだったのかもしれません。

 彼に、結局あなたが日本でやった「実験」は何だったのか、と尋ねました。彼はニヤリと笑っただけです。本日の演奏を聴いていただくと、雑多な様式が混ざった折衷的な音楽にきこえるかもしれません。しかし敢えていえば、それは折衷ではなく、並存です。しかも、異なる様式の中に巧みにめりこんでいっている。そういった複雑さをうまく演奏できるならば、ヴィンセントという不可思議な人間の背骨みたいなものが見えて(きこえて)くるような気がします。




■出演

マルガサリ

家高 洋 岩本像一 河原美佳 佐々木宏実 西真奈美 西田有里 羽田美葉
原田満智子 林 稔子 日置あつし 本間直樹 松宮 浩

中川 真  佐久間 新  ウィヤンタリ  ローフィット・イブラヒム


ティルト・クンチョノ
ジュルサン・ムシッ-とうもろこし-

 魚谷尚代 岡村真 小林麻貴 出口実紀 福山真生 渡部敬真
企画・制作:マルガサリ(制作アシスタント 松田明子)

照明:滝本二郎(SIC)

主催:マルガサリ
共催:大阪市立大学都市文化研究センター
後援:甲賀市 甲賀市教育委員会 インドネシア総領事館
協賛:アサヒビール株式会社
協力:碧水ホール 









ビンセント マックダモット(Vinvent McDermott)

1933年アメリカ ニュージャージ生まれ。カリフォルニア-バークレー大学修士課程(音楽史、音楽美学)修了。
1965年にインドネシアの民族音楽ガムランと出会い、1966年ペンシルバニア大学博士号修了(作曲、音楽史、音楽美学)の後、インドネシアへ。ガムラン演奏、研究をインドネシア芸術大学スラカルタ校で、またアメリカにてWasitodiningrat(Pak Cokro)とMidiyantoに師事。アスペン夏季音楽学校(作曲)、トロント大学(エレクトロニック・ミュージック)、アムステルダム大学(民族音楽学)で研究に取り組むなど活動は多岐にわたる。これまでの作品はオペラ、交響曲、室内楽、ソロ、コーラス及び電子音楽など40作品以上におよび、アメリカ、ヨーロッパ、アジアなど世界各地で演奏されている。今回、フルブライト・シニアスペシャリスト・プログラムとして来日し、マルガサリやティルトクンチョノとの協同で音楽作品を制作するほか、大阪市立大学都市文化研究センターへのプロジェクトにも参加。








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