プジョクスマンの再生を祈って 佐久間新(ジャワ舞踊家) |
2006年3月10日金曜日午後8時過ぎ、ジョグジャカルタにあるプジョクスマンで、僕は妻のウィヤンタリと踊っていた。演目は「スリカンディ・ビスモ」、男女の間の戦いを描いている。久しぶりに訪れた舞踊団の定期公演に出演したのである。普段は、多くても10数人の観客がこの日は50人以上の大盛況だ。いつもは滅多に踊らないベテラン・ダンサー達が踊る日に当たっていたので、みんな同窓会のように集まってきていたのだ。子連れのダンサーもたくさん見に来ていて、保育園のように賑やかだ。 |
市内中心部でも場所によっては、かなりの被害が出ている。王宮から東へ1キロの我が家も半壊のようだし、サスミント・マルドウォ舞踊団の本拠地プジョクスマンも同じ地域にあり、大きな被害を受けている。 |
ティルトクンチョノメンバーからご来場のみなさまへ |
ごあいさつ |
プログラム |
ジャワガムランアンサンブル ティルトクンチョノ 鹿野真理子 岩井義則 坂本準子 伊藤久子 尾関ひとみ 田中あゆみ 小松道子 小梶喜憲 日比 誠 安井博昭 石原弘之 田中友紀 北村裕子 マルガサリ 中川 真 家高 洋 本間直樹 西 真奈美 ピアノ 植田浩徳 ジャワ舞踊 小松道子 影絵 坂本準子 伊藤久子 中村道男 田中あゆみ(朗読) 協 力 佐久間新 ウィヤンタリ(舞踊指導) ローフィット・イブラヒム(影絵提供・指導) 長谷川嘉子 森山みどり(ティルトクンチョノ) 碧水ホール 監 修 中川 真 主 催 ティルト クンチョノ |
中川真 なかがわしん クンダン・企画監修 |
プログラムノート |
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これは中央集権的な考え方とは真っ向から対立する。地方分権の極端な例だ。なぜこんなことが起こるのか、ぼくにはよく分からない。音階を統一した方が便利かもしれないのに、そうはしないところに彼らの文化の特性がある。ガムランは楽器の調律に微妙な差異をもたらして独特のうなりをつくるが、そのうなりはどこかで一致することはなく、ジャワ津々浦々に果てしなく拡散していくのだ。しかも、現在にいたってもピッチを統一しようという意見すら出てこないところが気持ちいい。だから、もしあなたがガムランの楽器をもっているとすれば、それは世界で唯一無二の楽器なのだ。 ところが、その楽器がジャワを離れて世界に浸透していくにつれて、様々なハレーションを起こし始める。例えば、欧米の音楽家ならば、西洋の楽器との共演を試みてみようとするが、音階の違いでそれができない。そこで、アメリカ人は西洋の音階に近いガムランを自作しようとしている。それを聴くととてもピュアな感じの音で美しいが、ガムランのもっている芳醇で懐深い味が消えてしまう。ぼくはあまり好きになれない。 そこで、次にこんなことを考えた人がいる。西洋の楽器をガムランの音階に調律してはどうか、と。それがルー・ハリソンであり、本日のピアノ協奏曲(1988)はガムランの伴奏によるピアノソロだが、スコアには7音音階のペロッグと5音音階のスレンドロを、ピアノの12音に振り分けて調律し直すように書いてある。つまり、ピアノを完全にガムランの音階に変えてしまおうというのだ。これは、ある意味で衝撃的なアイデアだ。概ね、西洋のクラシックに携わっている音楽家は、西洋音楽が一番だと考えて、そも物差しを変えることはないが、ハリソンはピアノの音階を曲げてガムランの楽器に合わせようとしたのだ。彼はガムランの音階のもつ「分散性」に魅力を感じていたのだろう。 そして、この曲を初演したときのことだ。当時、ダルマブダヤのリーダーとして、メンバーとピアニストを引き連れ、ぼくは名古屋に乗り込んだ。そのホールには日本を代表するYピアノが設置してある。その調律もY社が責任をもって負っているが、ガムランの音階への調律はまかりならぬというお達しがきていた。理由は、そういう音階を想定してピアノ線を張っていないからということだが、何かガムランをバカにしている視線がちらほらした。 結局、ぼくは京都の優秀な調律師に頼んで名古屋まで来てもらい、ホールの許可を得た上で、そのピアノをガムランの音階に調律してもらった。そのときY社からも2人の調律師がやってきて、作業を背後から監視するというものものしさだった。なんだかコンサート前というよりは、事件の現場検証のような雰囲気で、みながピリピリしていた。だが、前日のリハーサルはうまくいった。 ところが、当日になるとどうだろう。ピアノの調律が平均律に戻っているではないか。いまだにこの理由がぼくには分からない。ひょっとしたら、ピアノの自己復元力で平均律に戻ったのか、それとも深夜にY社の調律師が密かに戻したのか・・・。これは深い謎に包まれている。あわてて、ぼくたちは調律をし直し、コンサートは事なきを得た。だが、実際に最も深刻だったのはピアニストだ。彼女(藤島啓子氏)は前日のリハーサルまでは自宅にある普通の調律のピアノで練習していたのだ。ガムランの調律になると、楽譜の音と実際に出ている音が全く異なってしまう。ほとんどパニックになっていた。ほんとうに人騒がせな曲である。 そして本日の演奏。ピアニスト、植田さんは果たして大丈夫だろうか? |