我がルーツ

       井伊家に仕える剣指南役

       歴史に残る銀座の新聞写真印刷会社経営者

       

先祖はどうしていたのか何を思っていたのか調べれる範囲で調査したい

また知りたい。身体のDNAがなにを語り継ごうとしてるのか。


父は東京の銀座生まれ,奏明小学校出て慶応大卒業し,企業リサーチする

出版部の部長していた。子供時代は裕福な家庭として暮らしでまさしく

銀座の若大将である。進行癌で70才でこの世を去っている。

戦前は戦争終わりかけの満州で会計の中尉として過酷な寒さのなかで戦争

体験をし,陸軍の野重戦の隊で対戦に備えていたという。戦後直ぐ身体を

壊して生きるか死ぬかの病気で四国へ疎開して命は取り留めている。

そして昭和26年私は東京の大田区蓮沼で生まれたである。

父は戦争の心の傷跡,PTSDであろうか神経質といらいらしている事が

多かった記憶がある。金持ちの暮らしから生活レベルはかなり落ちてギャ

ップが大きくてどうしょうもなかった違いないがその中で大学まで出して

くれた。教育は大切である信条で勉強家であった。

井伊家に仕え,桜田門外の変では非番の為おらず篭脇は別な達人が護衛

していたが井伊大老と共に殺された。その達人の彦根藩士の三男の

祖父は写真印刷では歴史に残る人である。海外に渡りシアトルで日刊日本

支社で営業部長から製版技術を苦労しながら学び,日本の新聞写真印刷に

革命をもたらし,莫大な富を得ていた。屋敷は桧造りで女中も数名いたと

いう。銀座の本社と家,料理屋「いんごや」,蒲田の屋敷,それ以外のも

不動産をいくつも所有。掛け軸,美術品,資産も億万長者といわれたが

50才後半で亡くなった。その後,貧乏の生活を強いられたのはわが父母

である。

母は四国愛媛の出身で農家の子供5人の二女 苦労の連続で私を育ててく

れた。内職しながら学校へやってくれて今の自分があります。

まじめな人柄で耐えることのみ今日まで来ている。


2.11 2002