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 ここ数年は個人的に「屈託なく」がキーワードです。  あるとき、ご指導いただいている先生が、「他のグループもたくさん見てきたけれど、サザナミほど屈託なくやっているグループは知らない。」というようなことを言ってくださったのです。
 趣味とはいえ、クラシックをやってみようというほどの人が集まるのですから、各々、こだわりがないはずは無い。こうあるべきだという自分なりの思いも無いわけがない。誰でも自分のなかに「ものさし」のようなものを持っています。でも、それを他の人からあてられるのはお互いに迷惑なことです。
 「屈託なく」は、サザナミの楽しい練習の秘密かもしれません。

 ところで、これから弦楽器をはじめようかと思っている人に、以下は、10年以上前のページですが、こころに残る記事でしたので再掲載。
10:12 2023/11/11 
 
滋賀県甲賀市
サザナミ記念アンサンブルの
ホームページへようこそ
2001.6.13

最新 2011年6月27日














2011.6.27 最近、担当者がツィッターをはじめました。
とても、興味深いツイートがありましたので、ご紹介します。

大井浩明さんのツイートから
@XupoakuOu 大井浩明 / Hiroaki Ooi
QT >これから芸を身につけようとする人が、「下手くそなうちは、人に見られたら恥だ。人知れず猛特訓して上達してから芸を披露するのが格好良い」などと、よく勘違いしがちだ。こんな事を言う人が芸を身につけた例しは何... http://tinymsg.appspot.com/HhX

(別のページにその全文がありました。)
能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。

未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。

天下のものの上手といへども、始めは、不堪の聞え(=下手くそだという悪い噂)もあり、無下の瑕瑾(=酷すぎる屈辱)もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。
(徒然草第150段)


これから芸を身につけようとする人が、「下手くそなうちは、人に見られたら恥だ。人知れず猛特訓して上達してから芸を披露するのが格好良い」などと、よく勘違いしがちだ。こんな事を言う人が芸を身につけた例しは何一つとしてない。

まだ芸がヘッポコなうちからベテランに交ざって、バカにされたり笑い者になっても苦にすることなく、平常心で頑張っていれば才能や素質などいらない。芸の道を踏み外すことも無く、我流にもならず、時を経て、上手いのか知らないが要領だけよく、訓練をナメている者を超えて達人になるだろう。人間性も向上し、努力が報われ、無双のマイスターの称号が与えられるに至るわけだ。

人間国宝も、最初は下手クソだとなじられ、ボロクソなまでに屈辱を味わった。しかし、その人が芸の教えを正しく学び、尊重し、自分勝手にならなかったからこそ、重要無形文化財として称えられ、万人の師匠となった。どんな世界も同じである。


サザナミ記念アンサンブル,滋賀県甲賀市水口町   
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