佐久間新とジャワ舞踊2002.4/滋賀県水口町碧水ホールにおけるガムランプロジェクト 佐久間新とジャワ舞踊 
2003.3.15-16 碧水ホールガムランワークショップ
ジャワ舞踊入門集中講座
掲出 2003.4.10


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2003.3.15-16 ジャワ舞踊入門集中講座が開かれました。佐久間新さんのプロフィールと掲示板でのやりとりです。


インドネシア国立芸術大学 留学記 
             佐久間新

 本公演にはインドネシア国立芸術大学ジョグジャカルタ校の教官が8人出演されている。私は1995年から3年間インドネシア政府給費留学生として、同校に留学していた。そのころの生活の様子とジャワの大学の様子や文化の様子を記してみた。

 今日も晴天だ。ジャワでは午前中から雨が降ることはまずない。雨季と乾季があるが、年中暑い。それでも湿度は低く、日陰にいると過ごしやすい。1995年、僕は自転車でジョグジャカルタの国立芸術大学に通っていた。ジャワの大学の朝は早い、1時間目は7時半からだ。6時過ぎに起きて、下宿近くの屋台へ朝御飯を買いに行く。ご飯、大豆の発酵食品テンペ、ゴーヤの炒め煮、ビーフンなどなど、毎日おばさんのおまかせメニュー。350ルピア、当時のレートで20円ぐらいだった。もちろん美味しい。気合いの掛け声をかけて、水浴びをしていざ出発。
 7時前、下宿のあった市内の中心から南へと自転車を走らせる。頬に当たる風がさわやかだ。自転車やバイクが多い。自転車に乗っているのは中学生や高校生、小学生はお父さんのバイクの後ろに乗って、送ってもらっている。家族4人や5人で1台のバイクに乗っているのも珍しくない。インド洋へと続く緩やかな道を15分ほど南へ下っていくと、市内を抜け田圃の中の1本道になる。北側へ振り向くと標高3,000メートル近い双子のムラピ山とムルバブ山が見える。聖なる山ムラピ山の山頂からは、白い煙がたなびいている。昼になると雲がかかるので早朝にしか見ることが出来ない。さらに5分ほど、田圃を潤す用水路の水の流れと一緒にペダルを漕いでいく。火焔樹の大きな木とオレンジ色の瓦屋根が見えてくる。Institute Seni Indonesia通称 ISI (イシ)と呼ばれる芸術大学のキャンパスだ。

 ISI には表現芸術学部があり、その中に舞踊学科、ガムラン学科、影絵芝居学科、民族音楽学学科、西洋音楽学科、演劇学科などがある。僕が学んでいたのは舞踊学科の中の伝統舞踊専攻だ。1学年がおよそ50名。伝統舞踊専攻と創作舞踊専攻に分かれる。1クラスの中には、舞踊を子どもの頃から学び、ジョグジャカルタの芸術高校を卒業した者、隣町スラカルタの芸術高校を卒業した者、バリの芸術高校を卒業した者、普通科の高校を卒業したジャワ人、ジャワ島以外の島の出身者、それから僕たち外国人、と色々なバックグラウンドをもった学生が集まっている。
 留学して最初の学期に受けた授業は、ジョグジャカルタ舞踊、スラカルタ舞踊、スンダ舞踊そしてバリ舞踊だった。最初の授業から実技レッスンで、とにかく進むのが早い。先生が見本を示し、それを真似る。出来なくてもどんどん授業は進んでいく。さすがに芸術高校出身の学生は覚えが早い。普通科出身の学生と一緒に朝練や、放課後も練習する。とにかく最低でも覚えておかなければテストで落とされる。最初の2ヶ月で8キロ痩せた。最初の学期のテストは何とか合格した。
 舞踊学科の校舎とガムラン学科の校舎の間にこんもりとした木陰がある。肉団子入り汁そばバッソ屋台の定位置だ。バッソの他に寒天やココナッツの入った氷入りのデザートもある。エス・チャンプールは女の子達のお気に入りだ。屋台の周りには学生だけでなく先生達もたむろする。 ISI では先生と学生が本当に仲がいい。特に伝統芸能の学科の先生と学生は、大学以外では同じ舞台に立ったりするので、友達のように仲がいい。プランバナン寺院のラーマーヤナバレエの舞台では ISI の先生達、そして学生や ISI 出身者が活躍している。乾季の間は毎晩のように公演があり、公演が終了すると ISI の近くに住む先生や学生達のための送迎バスが出る。その他にも毎晩のように王宮やホテルの催し、結婚式での演奏、影絵芝居などがあり、学生達は実践の場で先生達と共演し、色々なことを学んでいく。

 ジョグジャカルタには ISI の他に、国立総合大学のガジャ・マダ大学や国立教育大学を始め沢山の大学があり、インドネシア各地から沢山の学生が集まっている。また、町の中心には王宮があり政治や伝統文化の中心となっている。王宮では今なお、ジャワの暦に従って様々な儀式が行われている。ジャワの庶民の生活の中にもまだまだ伝統的な習慣が残っている。伝統文化や芸術が盛んな一方で、若い世代の間ではロックやポップが人気。そして現代的なアートや実験的な演劇や舞踊も盛んだ。世界各地で活躍するアーチストも多い。ジョグジャカルタの町に住んでいると、とにかく催しごとには事欠かない。僕も毎晩のように出かけた。所属する舞踊団の観光客向けの公演、王宮での影絵芝居、郊外でのトランス舞踊、ギャラリーでの現代アートのオープニング・パーティ、 ISI での外国人ダンサーのワークショップ、結婚式、割礼の儀式。とにかく毎晩のように何かがある。情報誌もないのに口コミで情報が伝わる。しかも、ほとんどの催しは無料だ。
 留学して3年目。 ISI の授業にもだいぶ慣れ、大学でも下級生の方が多くなってきた。インドネシア人の学生に質問されるようになった。学外で公演することも多くなった。公演後は先生や学生達と、時に王宮南広場で白玉団子の生姜湯ロンデを食べながら、下宿近くの美味しいジャワ風焼きそばを食べながら、先生の家の庭先で甘い甘いジャワコーヒーを飲みながら、舞踊談義に明け暮れた。日本への帰国の日が近づいていた。3年間日本に帰っていなかった。少しずつ、日本に対するリアリティが薄れつつあった。

 5週間の日本滞在の後、再びジャワへ向かった。お土産を持って ISI を訪れる。懐かしいという感覚は湧いてこない。ホームグラウンドに帰ってきたような感覚だろうか。まあ、居心地がいいのだ。 ISI の先生と学生達は暖かく向かえてくれた、舞踊する仲間として向かえてくれたような気がした。この後、僕は日本とインドネシアを頻繁に往復するようになる。ジョグジャカルタの舞踊団の沖縄公演をコーディネートしたり、 ISI の先生が日本でワークショップするのを手伝ったり、交流の場は広がりつつある。本公演でもお世話になった先生方と共演できるのはすごくうれしい。
(2002年9月7日島根県八束郡八雲村 熊野大社境内「庭火祭」かがり火とガムランの夕べパンフレットに寄稿)



2003年3月 碧水ホールでの「ジャワ舞踊入門集中講座」
ガムランプロジェクト掲示板から

ワークショップご報告 投稿者:michio  投稿日: 3月20日(木)00時58分52秒
本日は練習日でした。なんと、三名もの新人(内、ワークショップ参加者二名、もう一人はもっと以前のワークショップに参加していたような・・・)。
早速、練習を初めての人中心のプログラムにしました。マニャルセウ、トロポンバンなど。
・・・え?いつもと変わらない?

舞踊編のワークショップでは、ティルトクンチョノのメンバー、碧水ホールのボランティアスタッフなども加わって二〇名程度。二日間とも、佐久間新さん、ウィヤンタリさんのデモを含む贅沢な内容でした。バティックの着付けなどもありました。
(ウィヤンタリさんは着物・・日本の・・の着付けも上手だそうです。)
ワークショップの時間が終わってからも、ゆっくりおしゃべり。さらに、佐久間さん、ウィヤンタリさんをつかまえて、演奏の練習が続きました。お二人はもちろんガムランの演奏にも堪能です。クンダン(太鼓)を叩いているウィヤンタリさんの様子とその笑顔は大変素敵でした。
2日目はグンデルンの生演奏付き。他に、ゴングは移動がたいへんなので、クンプールを2個使用しました。練習室にあるパレエのためのレッスンバーにぶら下げました。こんな風にレッスンバーが使われるのも、碧水ホールならでは。
一日目で習ったことを応用して、創作的なダンスを二グループに分かれてやりました。

伝統的なジャワ舞踊(の、短いもの)をきちんと覚えたいなど、参加者のご希望もありました。水口で、定期的なレッスンや体験講座が開けるほどの参加者が得られれば、ご希望は実現できますが、果たしてどうでしょうか。
ガムラン楽器群を多くの人に開放する「一日中ガムラン」の企画や、ジャワ舞踊体験レッスンのシリーズなど、やりたいことが沢山あります。

ご意見、ご希望などありましたら遠慮なくお聴かせください。

講師のお二人は、3月27日に開かれるコンサートに出演のため、翌日からジャワへ出発しました。演目は「千の産屋」。昨年の9月に島根と水口碧水ホールで初演されたスンドラタリ(ガムラン楽劇)が、いよいよインドネシアでも公演されることになったのです。

今日から・・ 投稿者:michio  投稿日: 3月15日(土)00時54分12秒

ガムランワークショップ、ジャワ舞踊短期入門編です。
碧水ホールで最初のコンサートが開かれたのは2001年、それまでもずっと、チャンスをうかがっていたのですが。
ワークショップの合間には、コンサートの様子のビデオを流したいと思っています。 2日間、午前と午後に渡る3講座は、ジャワの時間の流れのようになるといいなあ。 参加者も多彩。
みんな、上手な人ばかりだったらどうしよう・・と言うご心配は無用です。
日本におけるジャワ舞踊の現状から見て、経験者は多分少ないと思います。
ホールでは他の催し。終わったらすぐに、我がティルトクンチョノ、ガムラン楽器群をお見せする予定です。
見学の方もどうぞ。当時参加も、数名なら可能です。

本日練習日 投稿者:michio  投稿日: 3月12日(水)18時31分18秒

 午後の「けんしん講演会」小林完吾さんの講演が終わったあと、すぐに可動席を片づけて、
 2週間ぶりにガムランを拡げました。なんだか久しぶり。たくさん来てくださいね。
 また、15,16日の土日はガムランワークショップ、ジャワ舞踊編。ティルトクンチョノメンバーも多く参加するようなら、15日ワークショップ終了後、イウィンと佐久間さんをつかまえて、演奏の練習会などどうでしょう。
 見学の方も遠慮なくお越しください。

水口町美術展が終わりました。 投稿者:michio  投稿日: 3月10日(月)08時01分22秒

 なぜ、この話がこのページに出てくるのでしょうか。
 それは、碧水ホールのガムラン楽器群ティルト・クンチョノの収納状態にあります。
 美術展の準備から本番の2週間、クンプール、ゴング類はステージの上へ、他の楽器は展示パネルとの関係でとても取り出しにくい状況にありました。しかも開場時間中は音がだせない。
 そういう状況にもめげず、自主練習に来ているひともいました。
 先週は雪や雨の不順な天気でしたが、ようやく明るい日差し。春がやってきます。
(無題) 投稿者:佐久間新  投稿日: 3月 9日(日)15時14分05秒

今回のワークショップでは、ジョグジャカルタのハムン・クブウォノ王家様式の舞踊を基礎としたジャワ舞踊を題材にします。20世紀前半までは王宮の中でしか踊られることがなかったのですが、インドネシア独立後は芸術高校や芸術大学、また私立の舞踊学校でも教えられるようになりました。私はインドネシア芸術大学ジョグジャカルタ校とサスミント・マルドウォ舞踊団で舞踊を習いました。ジョグジャカルタ様式の舞踊を大きく分けると、3種類に分かれます。女性舞踊、男性の洗練された型、男性の荒々しい型の3種類です。これらの型は見た目には異なりますが、同じ原理で貫かれた方法で踊られます。今日はここまでです。

佐久間さんからの投稿 投稿者:michio  投稿日: 3月 3日(月)15時22分15秒

 インターネットで「ジャワ舞踊講義」がはじまってしまいました。ありがとうございます。
 この投稿は、ガムランプロジェクトのホームページに保存版をつくっていきたいと思います。続編楽しみにしています。
 質問もどんどんどうぞ。

ジャワ舞踊 その1 投稿者:佐久間新  投稿日: 3月 3日(月)00時30分40秒

15日、16日のワークショップに向けて、この場で少しジャワ舞踊の事を少し書きます。質問のある方はどうぞお気軽に。今度のワークショップで取り上げるのは、インドネシア・ジャワ島のジョグジャカルタ王宮に伝わる様式の舞踊です。ジャワ島の中部にジョグジャカルタとソロという古都があります。それぞれの町はふたつずつ王宮があります。ジョグジャカルタの王宮はパク・アラム家とハムンク・ブウォノ家です。ソロの王宮はマンク・ヌゴロ家とカススナン家です。もともとマタラム家というひとつの王家から、徐々に分かれていきました。舞踊やガムラン音楽は各王家に分かれて伝えられているので、それぞれ似てはいますが、微妙に異なる様式がそれぞれの特徴を作り出しています。続きはまた今度。


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