現代のことば・2002.6.21京都新聞夕刊/滋賀県水口町碧水ホールにおけるガムランプロジェクト 現代のことば・2002.6.21京都新聞夕刊 2002.6.21
掲出 2002.10.10


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現代のことば(中川真写真)
中川 真
京都新聞夕刊2002年6月21日金曜日

 滋賀県の南部、水口町に碧水(へきすい)ホールという町立の文化施設がある。収容人員はたかだか四百人程度の小さなホールだ。しかし、ここでいま大きな実験が始まろうとしている。というのも、町が昨年度予算でインドネシアのガムラン楽器のフルセットを購入し、このホールでガムランの演奏チームを育てることを始めたからだ。
 ワープロで「がむらん」と打つと、一発変換で「ガムラン」が出てくるようになったご時勢だが、まだまだ知られているとはいえない。日本ではバリのガムランが一部の愛好家から絶大な人気を博してしるが、水口町が買ったのは、もうちょっとおっとりとしたジャワのガムランだ。京都府が友好協定を結んでいるジョクジャカルタは、ジャワのガムランの本場なので、聴いた方もおられるかもしれない。
 碧水ホールのユニークさというか大胆さは、公立ホールとしてガムランを自前で持って活動してゆく点にある。西日本では他に例がない。ガムランのほとんどが大学や博物館に所蔵され、音楽教育に用いられているにすぎない現状のなかで、地域文化活動のひとつの柱としてガムランを打ち出そうというのである。
 滋賀県には「びわ湖ホール」という、オペラが上演可能な世界的なホールがある。それに比べたら、物理的大きさのみならず、予算にしても、それこそ象と蟻(あり)のような違いがある。
 それでは、ローカルなホールは何をなすべきなのか?そこで碧水ホールのとった戦法は、巨大なホールができないような、すき間を縫うイベントやワークショップを、機関銃のようにうち続けるということだ。
 これまでの、このホールの民族音楽シリーズや映画上演は、知る人ぞ知るという、京阪神の通をうならせるものがあった。そして、おなじすき間にパスを送るのなら、美しくありたいという美意識のなかから、切り札としてのガムランが浮上してきたのである。
 それにしても、町の予算にしてはけっこう趣味的な選択だと思うけれど、ホールの館長は自信満々だ。買ったのはいいけれど、それが町民から支持され愛されないと、宝の持ち腐れになる。普通のホールにピアノがあるように、ここにガムランが置かれているのだ。ガムランは館長を、町民を裏切らないだろうか?
 ぼくは、この試みはまず九分通り成功すると見ている。それは、ガムランという楽器、音楽のもつキャパシティの大きさによる。ガムランは一挙に二十人余りの人が合奏に参加出来るが、とてつもなく難しい楽器から簡単に演奏できる楽器まで、順にそろっている。だから、超ベテランと初心者が一緒に演奏できる。西洋のオーケストラではあり得ないことだ。この間口の広さは、訳の分からない民族音楽という思いこみを、容易に打ち砕くだろう。
 また、音色の魅力がある。ぼくたちは梵鐘(ぼんしょう)の音が好きだが、ガムランには深いゴングの響きがある。これを一回聴くと、ほとんどの人がハマッてしまう。体にも良いような気がする。
 なんだか水口町の人が、とってもうらやましくなってきた。
(大阪市立大学教授・民族音楽学)

小さなホールの試み
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