●障害のある人たちと舞踊家、演奏家、観客との |
●オープンします テンペカフェ テンペとビール Candra ジャワテイストの手作り小物 ●終演後、ロビーでフル・ガムランによるジャワの伝統曲を演奏します。 終演後もごゆっくりお過ごしください。 |
プログラム |
『さあトーマス』における共生の秘訣 |
い。彼らはそれを言語化することも、説明することもないからだ。共に何かをしようという意思は両者にある。しかし、彼らのその意思を読み解く方法がまだ分からない。それは彼らの能力の問題であり、同時に私の能力の問題もでもあるのだ。できれば、それを明示する方法を彼らが編み出してほしいのだが、それは可能なのかと考えたとき、深い水底に引き込まれるような重い感覚に包まれる。ある意味では、こちら側だけの思いによって判断しているに過ぎない。ひょっとしたら分かり合えていると思いこんでいるだけなのかもしれないのだ。もちろん観客にとっては、そんなことはどうでもよく、パフォーマンスが面白ければそれでいいのかもしれないし、面白いということは、ステージ上での共生はうまくいっているということだろう。そういう表現としての共生とともに、関係としての共生をきちんとつくっていきたい、というのが私の願いだったし、それなしには、これほどのエネルギーを傾注する意味はない。
障害のある彼/彼女たちとともに作品をつくっていると、ありきたりな言い方になるが、「自己と他者との出会い」の根源に立ち会っているような気になる。当たり前と思っていたコミュニケーションができなくなることの驚き。自分がこれまで培ってきた様々な音楽的戦略や技術の、全部とまではいかないにしても、その多くを封印しなければならないことの苛立ちや苦しみ。異文化との出会いに似ているが、実際にはその理解の過程はずいぶん異なる。結果としては、自分をどのように「壊して(毀して)」いくのかという実験をしているような気がする。しかし、完全に壊れることはない。あくまでパフォーマンスを行っているという演技的な状況が、私たちを遠い非現実に連れ去ることなく、この現実に留め置いてくれている。しかし、障害のある人が演技をしているのか、素のまま
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でそこに立っているのか、はっきりとは分からない。それに馴染んでいくにつれ徐々に理解していくという予定調和的世界に到達することはない。そういう意味では、表面的な文化相対的姿勢で臨んでも、全く役に立たない。いっそのこと互いに理解できないのではないかという割り切りのもとで進めていかねばならない。ただ、その「理解」とはいったい何かという問いを常に繰り返すことも大切だ。それは私が携えている理解の概念から脱出することでもある。 |
佐久間新:1995年から99年までインドネシア芸術大学舞踊学科に学ぶ。ジャワ伝統舞踊を中心としながら、野村誠(作曲家)、由良部正美(舞踏家)らと共同作品を発表。現在、障害のある人たちとの即興の中からダンスを模索中。 |
「ガムラン」ってなに? |