陽明園

 陽明園は王陽(1472-1648)先生の生地である中国浙江省余姚市と、日本陽明学の祖・中江藤樹(1608-1648)先生の生地である滋賀県安曇川との友好交流を記念して建設した中国式庭園です。

この陽明園の設計にさいしては、上海の蘇州留園、杭州西湖の小瀛州など、中国における代表的な庭園を参考にしました。陽明門に取り付けている三つの篇額の題字はすべて余姚市文聯名誉首席・胡丁氏の揮ごうにかかるものです。

なお、「太湖石」と呼ばれる池の周囲などに配した奇怪な形をした岩石や塀の龍瓦などをはじめ、陽名園に用いられている建築材料のほとんどは、中国から輸入したものばかりです。

「陽明亭」八角平面の二層式あづまやである陽名亭は、王陽明先生が講学した遺跡(中天閣)の残されている龍泉山公園の陽明亭にならって建築しました。この龍泉山公園の山頂に建てられている陽明亭は、文化大革命後に再建されたものです。

しかしこのたびの陽明園における陽明帝は、余姚市文物管理委員会の時代考証をへて明代(1368-1661)の建築模式にもとづき、余姚市城郷建設委員会の監修によって復元したものです。

 「王陽明石像」王陽明先生の画像は、今日数種にわたって残されていますが、皇帝に拝謁する時の姿を描いた王陽明先生画像は余姚に古くから伝わっているものです。陽明園の王陽明石像は、その画像にもとづき等身大の大きさで余姚産の花崗岩を使用して制作しました。

 この陽明園が、余姚市と安曇川町との友好交流の架け橋として、また国際交流のシンボルとして、子々孫々にまで大切に引き継がれていくことを祈念するものです。