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安曇川町地域資源調査委員会では平成13年2月14日(水)、竹資源活用フォーラム会長の内村悦三先生を講師にお招きして、竹の活用に関する講演会を開催しました.。 |
| 「竹資源の活用と地域の活性化」 竹資源活用フォーラム会長 内村 悦三 氏 |
お伽噺の竹林 「お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に」と聞きなれた言葉ですが、一昨年でしたか、朝日新聞社が外国人のために出しております雑誌の原稿を頼まれました。竹のことについてまったく知らないヨーロッパとかアメリカの人たちに竹を紹介するのに、どういう所から始めればよいのか、思い悩みまして書き始めたのが、こういった言葉でございました。私達の世代には子どもたちに伝えるお伽噺があったわけであります。桃太郎の話、一寸法師の話、かぐや姫の話です。ところで、日本の孟宗竹とかマダケは、基本的には《里山》に生えています。あまり傾斜のきつい所には育ってはおりません。したがってお爺さんが山へ芝刈りに行くといっても、そんな奥山へ行くのではなく、自分の家の裏山へ行って芝や落ち葉を集めたりしていたのです。かぐや姫の話も、恐らく自分の裏山の竹を切って、それを加工して生業を立てていたと思われます。このように私たちの身近な所に竹があった。自分たちで自分の手元にあるものから、生活道具を使ってきた歴史があったわけでございます。 生活の変貌 ところが戦後になりまして、私たちの生活様式がガラッと変わってしまいます。昭和の34、5年頃から急激に変わってくるわけですが、生活様式が従来の日本的なものから西洋式なものに変わったといえます。衣の場合は、和装から洋装へ、食の場合は和食から洋食へ、住の場合は畳のある和室からイスの洋室へと変わり、要は簡単で便利な生活へと変わったのです。そして、大量生産、大量消費の生活によって外材(輸入材)の増加とそのあおりを受けて国産材の生産が低迷するのです。 竹製品の衰退 昭和38八年から40年にかけまして、ご承知のように全国的にマダケが開花し、当時の竹業者にとっては仕事にならない状態になりました。幸いにしてマダケは上部が枯れても、地下部は一年間長生きして自然と回復してくるのですが、一番細工ものを作るのに適するマダケが生産できなくなった。たまたまその時期に石油製品、プラスチックが出てまいりました。多くの人たちは、ササクレのある竹製品よりは、耐久性のあるプラスチック製品の方へ乗り移ってしまった。そのために、竹産業は一挙に低迷してしまったわけです。とはいうものの、私たちには竹製品に対する郷愁が多少ともありましたので、台湾やタイ製の質の悪い熱帯性の竹製品がどんどん入ってきたのです。これが追い討ちをかけまして、「竹はダメだ」という筋書きができてしまったのです。 増える竹ヤブ 一方、都市に近い里山では開発されて住宅になると、サラリーマンたちが住むようになる。そうすると、ゴミを捨てたりなどがあって嫌われて里山を囲い込みしてしまうようになる。全国非常に多くの所で手入れのされていない《竹ヤブ》が増えています。ところで石油製品は有限な資源であり、場合によっては環境汚染をもたらします。けれども植物はそうでなく、特に竹の場合は毎年、タケノコとして生え、日本の竹ですと一つの面積に生えている本数の5分の1から6分の1を毎年手入れする。残りが常にある。つまり、枯渇しない持続可能な資源といえるのです。 竹は太陽の光と水分を要求します。これは他の植物よりも性質の強い証拠で、しかも土壌が比較的酸性の所でも生えます。いわゆる条件が悪くなっても自分の地下茎を伸ばすことによって、自分のいい条件の所に広がってくる。日本の竹の生えている面積は約11万ヘクタール。けれども登録のしていない竹ヤブも含めると、2倍から3倍はあるわけです。トータルしますと日本国内には30万ヘクタールの竹の林があると思います。そのうち利用されているのは、6万か7万ヘクタールぐらいです。今ある資源が有効に活用できていないのが現状であります。 ゼロ・エミッション 竹はすべてのものが使える。たとえば、竹の葉っぱでも捨てるのでなくて、粉末にしてお茶にできる。要するに捨てるもので新たな産業を起こしている。これをゼロ・エミッションと呼んでいる。捨てるものは何もないのです。竹の効果的な利用法を考えなければなりません。 |
| 竹の活用法と地域振興について(講演資料より) |
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